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アンナンブルーの歴史
アンナンブルー誕生
今から17年前、東京で偶然見つけて入ったベトナム料理店。そこで初めて体験したベトナム料理。その美しさは、後に知った仏領インドシナ時代のフランスの影響でしょうか、代表的な料理のゴイクン(生春巻)をとっても半透明のライスペーパーからうっすら透けて見えるエビの紅色が美しく、また料理の盛り付けをとってもカービングや様々な香草で飾られ見た目にも楽しませてくれました。料理に飾られた香草と料理の相性を楽しむことはもとより数種のタレでより自分好みの味にすることができ、まさに「味覚、嗅覚、視覚で楽しめる」そんなベトナム料理にひどく感銘を受けました。当時はまだあまり知られていなかったこの料理を名古屋でも多くの人に知ってもらいたいという思いがアンナンブルー誕生へとつながりました。
アンナンブルーという店名の由来
当時ベトナムについて書かれた文項の中に、日本で有名な陶器伊万里焼がベトナムに伝わり(古都ホイアン近郊で古伊万里が多数出土している)今の安南焼の元となったと記されていました。他にも有名なバッチャン焼などがありますが、それらを色付ける為に使われている青い染料を安南の青、すなわち“アンナンブルー”と呼ぶとありました。日本にもゆかりがあり発音した時の強さと綺麗さがとても気に入り、“アンナンブルー”を屋号としました。サブタイトルの青安南は、昔ベトナムを西安南と呼んだという話を聞き、西(せい)をブルーの青(せい)に置き換えた言葉の遊びのような意味合いです。
オープン当初の苦労話
一番大変だったのは食材、中でもライスペーパー。当時はまだ商社の扱いが無く、ベトナム人の友人を介して個人で輸入するしかありませんでした。現在の商社が扱うライスペーパーのようにビニールで密封もされておらず、20枚ほどの束がビニールの紐で十字に縛ってあるだけというとても原始的なものでした。また品質的にも厚さもまちまちで、もどし方ひとつとっても相当工夫が必要でした。しかも農家の屋外で天日干しされたライスペーパーには蚊などの小虫やわらなどの異物が混入していることも珍しくなく、調理する時などに相当神経を使ったものです。
また輸入する際にもトラブルが。一度日本に着いても検疫でひっかかりベトナムへ逆戻りしてしまい、危うく店にライスペーパーの在庫が無くなってしまうという局面もありました。着いたら着いたで名古屋港の受け取り監査で押し問答の末、半日缶詰なんて事も。
今では複数の日本の商社がライスペーパーを輸入していますし、中にはベトナムに工場を構え独自の技術で作らせている商社もあります。当時と比べると品質も向上し、安心してライスペーパーを扱うことができます。もちろん、アンナンブルーではいくつかのブランドの中から最高の品質のライスペーパーを吟味して使用しています。
吹上本店のシクロ
アンナンブルーをオープンするにあたり、何か店のオブジェとしてベトナムの象徴的な物を探すために視察も兼ねてベトナムへ行きました。紆余曲折ありながら日本に持ち帰ることができたのがベトナムの人力自転車TAXIとして有名なシクロ。そのシクロは、あれから10数年風雨にさらされながらも、今でも吹上本店の前に置かれています。
「オーナーの旅のこぼれ話 第18回 シクロ」の中で、アンナンブルー1号店(本店)オープンの際のエピソードやシクロについて詳しく紹介しています。是非読んでみてください。
オーナー 加藤新貴
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